自分を許す必要はないという話


よくさ、「自分を許しましょう」って言うよね〜

「自分を許すから他人を許せるようになる」

とかも言うよね(๑•̀ㅂ•́)و✧

でもさ、私はいつもこのワードに引っかかりや、違和感を感じていた。

でもそれが何かずっとわからなかった。なんかモヤモヤしたままだったんだけど、この間ついに答えを見つけた。

そういうことだったのか‥!と一人で納得したのでシェアしたいと思います。

自分を許す」ことについて私が思うこと


なんで私が違和感を覚えるかというと、そもそもだけれど、

「許したり・受け入れるべき自分がいる」

ことが私の違和感なの。

だってそれって

「ダメな自分を許す」
「ダメな自分を受け入れる」


ってことじゃない?

ダメな自分も愛してあげようってことだもんね。

これは自分へのジャッジだし、分離した自分が根底にいるってことなんだよね。

そこに違和感を覚えるんだよね〜。

自分を分離させるとメンタルを病む


人はさ、物事を(他人にも自分に対しても)瞬間的にジャッジしている。

例えば自分に対しては、

よい自分・悪い自分
好きな自分・嫌いな自分
すごい自分・ダメな自分


というふうに毎瞬のようにジャッジしている。

でもそれらの、

その些細なジャッジ一つ一つが、実は自分を一番傷つけている。

さっき言った、瞬間的に判断してる自分に対する、「良い」「悪い」などの判断によってね。

自分がすごくつらいとき、だいたい自分で、自分をそんな風にジャッジして責めてるの。自分がいちばん自分をいじめてるってことなのね。

ちなみに「分離」とは、簡単にいうと自分の心の中が対立したりして、バラバラになってしまうこと。

例えば自分のことを善悪でジャッジすると、自分vs自分という自分の中の対立が起こるようになる。

自分の中が分離しているから、葛藤が起こるし苦しいんだよね。

だから幸せになるためには、

自分をジャッジすることをやめる

ということが一番大事なこと。個人的にはこれこそが、最重要課題だと思っている。

本当はダメな自分はいないんだから、許す自分もいないの。

自分が過去の自分をダメだと思い込んでいるだけなのだから。本当に、誰一人としてダメな人間なんていないんだよ?ヾ(*´∀`*)ノ

みんな社会に長年刷り込まれてきた、常識、倫理観、道徳観、宗教観によって、自分をジャッジしているけれど、

それと自分の価値は本当は関係ないからね。そう思わされてるだけ。幻を見ているようなものなの👀

ジャッジすることをやめるには

しかし人間はさ、瞬間的に自動的になにかをジャッジして生きているわけだからジャッジせずにはいられないよね。

私も心を整え始めた初期は、ジャッジしたくないのにしてしまう問題に悩んでいたから。

でもね、ちゃんと変われるから安心して!ジャッジについてはまた別の記事で詳しく解説しようと思う。これについては奥が深いからねえ(~ω~;)))

ちなみにこの前こんなツイートした。

いいねが7つついてますね。意外と反響?があって嬉しいヾ(*´∀`*)ノ